Me & My Degu

デグーとの暮らし、日々のあれこれ

cool drive makers

この花がたくさん咲いていた

近場の山で2泊の避暑。山の上のホテルだからだろうか、ウォシュレットの水勢が異様に弱く、MAXにしても筒先より1cmも噴出しないので目標地点に届かない。もどかしい。近場とはいえ、サスガ山、朝晩涼しい。しかし山の上に2泊ではやることがないので二日目は下界までおりて子供らを遊園地まで送り、あと展覧会へ。ゆっくり一人であちこちうろうろして満足。子供らは乗り放題パスポートを買ってやったのに2時間ほどで出たらしい。もったいないなぁ!それから長男は模型屋に、次男は山に戻り前日時間切れで行けなかったフィールドアスレティックに行ったらしい。「2時間のコースを15分でまわった!」と言っている。ううーん、遊園地にしてもアスレチックにしてもオカネ払っているんだから、じーっくり時間かければ?と思うのはおばはんの考え方か。なんか「ちゃんとモトはとれたのか?」と思ってしまうのよね。そうだ、ホテルに行く前に食べた中華のバイキングにしても、長男はすぐに腹痛を起こし、次男は「おいしくない」と言いほんの一口二口食べただけ。モトをとってくれよー!
Rainbow juiceしばらくぶりにnet巡回すると、おぉ、「COOL DRIVE活動休止」とな。cool drive makers時代はLIVEがあれば馳せ参じ、リリースがあれば買い、LIVE放送やPV集も録画していた。JAZZやファンクを小気味よくPOPSに混ぜ合わせて、楽しい音楽を作ってくれていた若いバンドだった。そうそう、このバンドもカラッとしていたんだ。ジャパニーズな湿っぽさがなくて、オセンチなところはあってもヨーロッパの小品映画のような肌触りでじっとりはしていなかった。どこか浮世離れしていて、そこもお気に入りだった。デビューアルバムのリリース時、J-WAVEで深夜やっていたスガシカオ氏のプログラムにゲストで出たときにスガ氏が「このデビューアルバムの素晴らしさは僕が語り継ぐよ!」と言い切っていたのを思い出す。ボーカルのnemo君の歌声が山崎まさよし氏に似てると話題になったこともあったけれど、私はあんまりそうは感じなかったな。COOL DRIVEに改名してからは、浮世離れ度が減り、日常に即したPOPSに変化したように思う。活動休止は寂しいけれど、いろんなカタチで音楽を続けていってほしいなぁ。