Me & My Degu

デグーとの暮らし、日々のあれこれ

手段と目的

8月のクリスマス (通常盤)久しぶりにnetをウロウロして山崎まさよし氏のLIVE関連の読み物を探す。いくつか読んだなかで、すばらしい記述があったのでリスペクトをこめてトラックバック弘前でブルーズギターをセッションしたり自転車に乗ったりなさっている(や、それらを同時にはなさらないでしょうけれども)othumさんのOKST2005青森公演の感想。やはりご自分でギターを弾かれる方の感想は深い。「ギターテクニックそれ自体が目的ではない」というあたり、まったく同感。なにか実現したいカタマリがまずあり、それの具現のためにギターがあり、パンデイロがあり、歌がある。こういう風に見せたい世界があるんだけど、今はギター一本しかないから、なんとかしてそこに近づけるためにこうしてみましたよ、という弾き語り。だからもし彼に3対の腕があったなら、さっさとギター一本のステージはやめて、一人スリーピースバンドで歌いだすのではないか。
私の印象では、山崎氏の場合、音の無いところは音が無いのだ。三人のバンドでのLIVEでも「三人でもここまでできる!」とでも言うかのように、隙間をどんどん音で埋めていくカンジ。ギター弾き語りで歌う場合、「音の無いところに何かを含ませる」ことが表現の大きな要素だと思う。金森幸介氏が緩急をつけてギターを弾き、「さくら」を歌いだす前の一瞬の音の無いところには花びらが舞う風情が現れる。有山じゅんじ氏が陽気に「ありやまなwoo!」と歌ったあとには、ギターの音も歌声もなにもなくても、どくどく響くビートが残っていたりするのだ。山崎氏の場合は「無」だからこそ、サンプリングされたパンデイロが同じビートを繰り返しても違和感無く溶け込んでいくのではないかしら。