Me & My Degu

デグーとの暮らし、日々のあれこれ

問わず語り覚え書き

一人で年越しました

新年。元旦は朝早くから起き出して、蟹を食べるバスツアーに参加。蟹の刺身美味しい!蟹の天ぷら美味しい!もちろん焼き蟹も美味しい!二日、兄一家と会食。中華をがっつり。喪中なので寺社には詣でず。三日はサスガに飽食にぐったり。朝お雑煮を食べながら母と二人とりとめなく喋る。子供らはまだ寝ている。
暗いところで本を読むと目が悪くなるっていうのは嘘らしいよね、という話から、じゃなんで私の目は悪くなったのかな?ちっちゃいときの食糧事情じゃない?あぁ、そうかもしれないね、曽我の家(母の実家)はとにかく質実剛健贅沢は敵だ!という家だったから。昔は栄養のことなんか考えてなかったからね。豆ばっかり食べてた。でも水岩の家(母の母の実家)は女中さん二人いて、まかないの係の人もいたし、わりと贅沢してたから、里帰りの度にコノワタだとかカラスミだとか食べさせて貰ってね、今でもコノワタ大好き。よくきたよくきたってお料理屋さんから茶碗蒸しとってくれたり。ウナギの入った茶碗蒸し食べて、世の中には何と美味しいものがあるものだと思ったなぁ。
学校が休みになるとまず佐藤の家(母の父方の親戚)に行く。そこは子供が無くて。太郎っていう賢い柴犬がいて、一緒に遊んだり散歩したりしたなぁ。かわいくてね。それにも飽きたら看護婦さんのところに行って、お薬を乳鉢でごりごり擂らせてもらう。今は子供にそんなことさせたらモンダイになるけどね。当時はノンビリしたもので。病院はあの辺りでは佐藤の家しかなかったから、みなやってくるんだけど、夏になるとスイカを持ってくるの。で、その貰ったスイカを部屋にずらーっと並べておくの。一部屋ぎっしりスイカで埋まってる。あの光景は忘れられないなぁ。朝に井戸に吊して、おやつにその冷えたスイカを食べるのよ。で、そんなことして佐藤の家でしばらく過ごすんだけれど、佐藤の家の女中さんと水岩の家の女中さんがお買い物の途中で会うわけ。同じ町だから。「曽我のお嬢ちゃん来てはりますよ〜」という話になり、じゃぁそろそろコッチにいらっしゃいと言うことになって、水岩の女中さんが佐藤の家まで迎えにくる。で、こんどは水岩の家に泊まらせてもらうのよ。水岩の家にはたくさん子供がいてね。子供同士でわいわい遊ぶ。水岩の家で何日間か遊んだら、子供らの中で一番年が近くて仲が良いさーちゃんと一緒に曽我の家に戻って、で、二人でまた遊ぶ。こんな風にしてたら全然勉強しないまま夏休みは終わってっちゃう。うん。イイ時代だったよね。
戦争中はね、あれ集めて何にしたんだろうか「ドングリを供出せよ」ということになってね。ドングリから戦争に役立つなにがとれるんだろう、油?んー、どんぐりで飛行機は飛ばないと思うんだけどね。備蓄して食糧にする?リスじゃないんだからねぇ。でもまぁ、供出しないといけないってことなんで、女中と二人で探し回ってね。でも学校中の子供が探し回ってるんでなかなかドングリもなくてね。で、水岩の家の裏にでっかいドングリの木があって、わざわざドングリを拾わせて貰いに行ったな。水岩の家も掃除になるし、どうぞどうぞって。もういぃっぱいドングリ取れてね。学校で一番になって表彰して貰ったよ。でもみんな一人で拾ってるのに、私だけ女中に手伝わせて一番って、ちょっと悪いなって思った。
母が昨日のことのように話す遠い遠い昔の話。子供達もこんな風に、お爺さんになったときに今の生活を思い出すのかしら。