Me & My Degu

デグーとの暮らし、日々のあれこれ

セッションってナニ

エア・キーボードプレイ中

江川ゲンタ氏が書いておられるblog美ぎ島MUSIC CONVENTION IN MIYAKO ISLANDに、熱心な山崎まさよしファンから、夏の宮古島イベントの時に一緒に出ていたゲンタ氏所属のオルケスタデラルスと山崎氏とのセッションが無くて残念だったというコメントが入った。それに対するゲンタ氏のレスが以下で、ちょっと考え込む。

残念って言われても…
とほほ。

セッションやるには準備必要だし、オイラは体がひとつだし、企画と運営と演奏と司会と…そう簡単には出来ないんすよ。

birdに山崎が入ったセッションじゃ満足しない、ってことですね?

ん〜、雰囲気でやってるんで、双方の盛り上がりがないセッションはやらないようにしているんです。
宮古島で業界っぽい企画のセッションなんて必要ないですよね。

残念と言われても…
すんません、方針は変わりませんなぁ。

あらら

まぁご自身が深くかかわったイベントに対する、チョイ上から目線とも取れるダメ出しを山崎ファンからされて、ご気分を害されたか?その気持ちはわからなくも無いけれど、それにしても、「音楽的身体能力の高い人たちの真剣勝負で私達をワクワクさせてください!」というシンプルな願いに対して、「業界っぽい企画のセッションなんて必要ない」と過剰防衛のごとく言い放つのには、なんか「セッション」というものに対する定義というか理解というか、コンセンサスにズレがあるような気がするな。

私の思う「セッション」とは、いわゆるジャムセッションからのイメージ。その場を構成するもの、ミュージシャンの能力・手にしている楽器・お客さんの質などが絡み合ったがゆえに、その場にいたものでしか体験できない即興性の強い音楽。その構成要素がそれぞれに能動的に働きかけあうことで生まれでる一瞬の輝き。なのでそもそも「双方の盛り上がりがないセッション」なんてものは存在しようが無い。それはもとよりセッションではない。セッションに対する「準備」とは、「キーをあわせること」「だいたいの構成を知っといたら便利」くらいのものではないか?(どうでしょ、ミュージシャンのみなさん?)

それよりもっと前、前提として「セッションができる」ためには、まずテクニックは不可欠だろう。それがあって尚且つ、「音楽でもってコミュニケートしたい!」という音楽を愛する心、相手のミュージシャンは今何をしようとしているのか聞く耳を持つこと、投げかけられた音楽による言葉を受け止めて当意即妙に返す反射神経、そのための音楽的知識、経験が必要であることは、シロウトの私でも容易に理解できる。参考→「セッションは楽し」

そういったことが身についていないのに、あ、この人とこのグループで一緒になんかしたら面白いかも!という思いつきだけでひっつけられるのが「双方の盛り上がりがないセッション」であり「業界っぽい企画のセッション」なのだろう。それぞれがなんとなく同じ曲をやるというね。山崎氏が「セッションができるミュージシャン」であることは、これまでの数々のセッションから自明のことであるけれど、じゃ、オルケスタデラルスとやることが「業界っぽい企画セッション」になってしまうのであるなら(え、これってもしや今度の山崎氏のカバーアルバムに入る「Just The Two Of Us」のこと?そんなことないよね?ないと言ってくれ)、そういう言い方をするのであるならば、デラルスは「セッションする技術および基礎体力」がないのだと自ら表明していることにならないか?ま、もちちろんデラルスは人数の多いサルサバンドであるからセッションするには不向きだということもあるだろうけど。

セッション見せて!と願うのは、準備万端整えて練習に練習を重ねた成果を見せて!というものとは違う。スリルを味わわせて!というのに似ているかもしれないな。

ジャマーバンドが「ハープの神様」八木のぶおさんとセッションしたLIVEを聞かせてもらった。http://www.geocities.jp/ykawabata45/07-09-15.htmジャマーの出番のうち後半8曲を八木さんがずっと入らはってのセッションLIVEなのだが、さすが神様、その日のリハでささっと合わせただけでジャマーの曲の中で縦横無尽に泳ぎ・跳ね・ビートを繰り出し、世界を新しく塗り替えていく。たとえばアンコール「元気なじじい」、イントロが始まると、待ってました!とばかり湧き上がる客席から「出た出た出た出た出たぁーー!」と叫び声があがる。「たぁたぁたぁたぁっ!て、なんや鳥を追うてるみたいやなー!」と答えるキンジさんの声でどっと笑う客席、それを受けて、八木さんの中盤のハープソロでは「コッコッコッコッコケーーー!」と雄鶏が時を告げるのだった。サイコー!でまたこの雄鶏が悲壮なカラ元気感をかもし出してて曲にぴったり、勿論コケコッコのメロディも全体をびしっと締めて、いつも聞いている「元気なじじい」だけどまったく新しい印象。これぞセッションといわずしてナンという。ちょっとセッションの話からは離れるが、このLIVEで初めてきいた曲「ALLRIGHT」がいいなぁ!軽快なリズム、洒落たコーラスワーク、キンジさんのトーキングブルースっぽいアプローチ、ヒロジさんとのツインボーカルの掛合いの妙、まろやかに転がるキーボード、ほろっとくる歌詞。ジャマーの美味しいところてんこ盛りじゃあありませんか!もう勝手に脳内でPV考えてます!

ま、とにかく、山崎まさよしという人は、「セッションができるミュージシャン」であるわけだから、ファンがLIVEで他では見られないセッションを望むのは当然だ。そら「あ、これは失敗!」というセッションもあるだろう、それがセッションというもの。だけれどもその反対で「神がかり的素晴らしさ!」が味わえる可能性も大いにあるわけだし、その場にめぐり合わせる僥倖に夢をはせるのがファンたるもの。山崎氏に近い人がこうした発言をするのには、少なからずショックを受けたなぁ。ん?それとも私の考える「セッション」の概念が、知らず知らずオールドファッションになっていた、ということなのか…


30日追記:上記リンクより、ジャマーバンドのドラム柳生さんがハープの神様八木のぶおさんとのセッションを語る。

 前回もそうでしたが、リハーサルといっても、八木さんに伝えるのはその曲のキーだけです。「次はGで…」っていう具合です。しかし、曲がはじまるとそらもうたまらん音とフレーズが飛び出してきます。そして、いつも以上のグルーヴがうねり出すのです。もうたまらん気持ちよさを感じられます。そのたまらん気持ちで、一緒に叩ける幸せは、やっぱりやっててよかったっていう言葉しかありません。そして、リハよりも何倍ものすごさは本番の演奏に反映されます。それはもうやっているわたしが言うのですから、まちがいはありません。

07/09/15 OLDで八木さんと!

これぞセッションの醍醐味!セッションの魔法でミュージシャン同士がハッピーに、そうしてそれを聴いているお客さんもハッピーに。セッションをするのがそんなに億劫ならば無理にとはお願いしないが、でもチャンスがあって双方乗り気なら、ぜひセッションをやっていただきたい!と願うばかり。