新海誠監督のアニメーション『秒速5センチメートル』をご覧になった方の感想をたくさん読む。この映画は主題歌の山崎まさよし「one more time,one more chance」を抜きには語れない。私自身は映画は未見、新海バージョンのワンモアPVを見ただけ。PVの印象は「カット割りがせわしなーい!」だ。もももももうちょっと落ち着こうよ。目からの情報がみっしり詰まりすぎていて、かえって耳からの情緒が薄れてしまうよう。映画の評判は高いが、多分私は見に行かないだろう。新海氏が目指す「リアルな世界の表出」とは違った方向のもの、世界の抽象化に絵が向かう、チョコアニメであるとか「ベルヴィル・ランデブー」のようなアニメーションが好きなので。
さてさて数ある感想のなかで、山崎ファンとしておぉ、と思ったのがこちら。
さて、感想を書かねば、と思ってこの日記を書き始めたわけだが、肯定的な感想と否定的な感想が入り混じり、なんとも複雑な心境である。
直截的にいえば、この作品の場合、歌と作品の立場が逆転してしまっているのではないか?、と。見終えてからそんな感想がずっとつきまとう。
今日の映画。新海誠『秒速5センチメートル』 - だめ人間の毒書日記。
「one more time,one more chance」を最初に主題歌にした映画「月とキャベツ」について、私はackky2010さんと同じような印象を受けたので映画の感想にそのようなことを書いたのだった。
とりあえず映画を観る。意外な展開は一切ない。主題歌一曲の持つパワーに拮抗するものがドラマにないのだ。
山崎が一般に認知されていなかった頃は、それが「花火」だと勘違いできたが、本人を知ってしまった後では、もうドラマは太刀打ちできない。狂気を打ち消す山崎まさよしの素材の魅力に、映画という構築されたものは負けてしまったのだ。長いプロモーションビデオのようだ、という印象は、ここからくる。
http://radioshop.mods.jp/tukikyabe.htm
魂の再生物語であるならば、何らかの意志を持って歌い出してほしかった。ヒバナと理人のご都合主義的な関係も含め、曖昧なまま何となく歌が始まり、観客はただただ、このあまりにストーリーに密接にシンクロしている曲が、力業で映画を完結させていく様子を、唖然としながら見守るのである。
あまり山崎まさよしについてご存知ない方に説明させていただくと、最初にこの曲が主題歌となった「月とキャベツ」にしても、まず先にこの曲があったのだ。「月とキャベツ」のために書き下ろされた曲ではない。監督が、主演役者を選考する場でこの曲を歌った山崎まさよしを気に入り、そのまま主役&主題歌となったのだ。監督側から「桜木町」という地名は映画と関係なかったため歌詞を変えてくれという要請もあったようだが、山崎サイドが拒否したらしい。
「歌と作品の立場が逆転してしまう」…それほどこの曲は持っているパワーが強いということだろう。この曲ほどパワーの強い歌といえば、そうだなぁ、「Without You」くらいしか思い浮かばないや。
ハリー・ニルソンのカバー。マライヤ・キャリーのカバーのほうをこのごろはよく目にするが、マライヤの定まらないフェイクよりも、ニルソンの一本調子な高音のほうが、切羽詰った切なさがぐっとくる。この身も世もない嘆きようがワンモアと匹敵すると思うのだけれど、どうかなぁ。
もうお一人、あぁ、そうなんだよなぁと共感した感想。
「5センチ」は「ワンモア」に全てを持っていかれた感じ…
この歌の、このサビのためにアニメにしました!みたいな…
そして
「ワンモア」は彼女と過ごした共通の日々を思い出しているのに対して、
「5センチ」はただ彼女の姿を一人追い求めているだけという差異に違和感。
2007-03-18 - nattou and leeks !!
yosinoさんは山崎氏についてお詳しい様子、そうそう、ワンモアって「ストーカーまがい」の歌といわれることがあるのだが、それはこの歌の本質でないと思っている。彼女とのことはすっぱりと「過去」にしたいと思っているのに、ふと心が緩むとき、それは踏切が開くのを待つ手持ち無沙汰な数分だったりするのだが、そんなときに、あぁなんてこった、いるはずもない彼女を探してしまっている自分に、彼女との時間をこんなにも取り戻したいと願っている自分に気がついて、果てしない後悔に身を焦がす切なさこそが胸を締め付けるのだ。