Me & My Degu

デグーとの暮らし、日々のあれこれ

私家版「月とキャベツ」

月とキャベツ [DVD]群馬県の伊参スタジオ映画祭(http://www8.wind.ne.jp/isama-cinema/)にて、「月とキャベツ」の未公開映像が映写されたということが、山崎まさよし関連のblogで話題になっている。月キャベ写真集ラストカットにもなっている、ヒバナを抱きしめる花火のシーンが数分間流されたという。監督はこのシーンを使いたかったのだそうだが、検討の結果お蔵入りとなったらしい。そういえば、伊参映画祭では「春駒の歌」についてはなにも言及されないのかな?あの分校を使った映画は「春駒の歌」の方が先だったはずなんだけど。栃窪分校の写真をこちらの「廃校の桜」というページで拝見する。http://members.jcom.home.ne.jp/shkm/photo31.html
公開時に書いた映画評(http://radioshop.mods.jp/tukikyabe.htm)。一つ目二つ目は多分に山崎まさよし氏のプロモーションの意味を込めて書き、映画雑誌に出した。三つ目はかなり本音で書き、出さなかったもの。で「月とキャベツ」を見るたびに感じてしまうのは、三つ目に書いた通り「理人とヒバナのご都合主義的なつながり」なのだった。たまたま友人の理人がヒバナの写真を撮っていて、たまたま理人の友人がその写真を見て、たまたまその友人がヒバナを覚えていたので、理人がヒバナのことを知る。で、理人はたまたま花火へのファンレターをごっそり持っていて、たまたまその中にヒバナの家族からの手紙も入っているので真相を知るのだ。どんな偶然やねーーんっ!でまた、むくむくと「私ならこうする」という妄想が膨らんでしまうのだ。
後半のストーリーをごっそり変えてしまいたい。ヒバナは台風の豪雨によるトンネル事故にあったのだ。救出作業は難航している。薄暗い画面にほの白く浮かび上がるヒバナの手首。ぴくりとも動かない。傍らの隙間には携帯音楽プレイヤー、通電して稼動しているのがわかる。花火とヒバナのひとときの共同生活によって、花火はどんどん生きる気力を甦らせる。そうしてあの夜。歌う事をヒバナに誓う花火。しかしプレイヤーはとうとう止まってしまうのだ。かき消えるヒバナ、茫然自失する花火。数日後理人は東京でワイドショーを見ている。トンネル事故は一週間後ようやく遺体を収容し、そうして今女子高生の葬式が行われている。泣き崩れる同級生達の映像に被ってリポーターの声「日花里さんはブレインズの熱烈なファンで、事故当時も携帯プレイヤーでブレインズの曲を聴いていたようです。今も式場では、絶える事無くブレインズの曲が流れています」 遺影のアップ、そこにはヒバナのはにかむ笑顔が写っている。はっと気がつく理人。式場のBGMは「妖精といた夏」妖精達は翼をたたんだ 僕と一緒に帰れなかった…
花火を気遣って分校に急ぐ理人。花火はあの夜のまま音楽室で蹲っている。やつれ汚れげっそりしている花火。むりやり花火を車に載せ東京へと戻る理人、花火に「お前のそんな姿をヒバナちゃんは見たくないと思うぞ」と語りかける。そうしてことの真相をゆっくり話してやる。静かに聴いている花火の頬に涙。車は都心に近づいてくる。信号で止まる車。夜の街にレストランの明るいウインドーが輝いている。そのレストランの中にヒバナが立っているのを見つける花火。車から飛び出してレストランのウインドーへ駆け寄る花火、やっぱりヒバナだ!入り口を探して必死の形相の花火。異様な風体の男の侵入にレストランは騒然となる。ヒバナは窓際のグランドピアノの向こうに立って微笑んでいる。花火が近寄るとゆっくり頷きながらヒバナはまた消えていく。ピアノの前に取り残される花火。じっとピアノを見る。排除しようとするウエイター達、もがく花火、ようやくやって来た理人に「歌いたいんだ!」と訴える。ブレインズの花火だ、と理人が周りに説明し、皆が驚く。ザワザワしている客にむかって花火「今、ここで歌いたいのです。歌ってもいいでしょうか」と訊く。拍手する客達。そしてゆっくり花火は歌いだす。「One more time,one more chance」夜空に浮かぶ大きな満月。
んー、今のところはこんなストーリーの映画を脳内で放映しているのだ。どうかなー、この話も、まぁ、花火が歌い続ける事を決心した後で電源が切れる辺り、ご都合主義的といえばそうなんだけど。大前提として、高校生の女の子を暫らく住まわせてしまうってトコからがちょっとムリがあるし、あんまり整合性を重視しすぎると、この映画自体のもつムードが壊れてしまうってところもあるなぁ… 妄想の日々は続く。