Me & My Degu

デグーとの暮らし、日々のあれこれ

サイトバレ恐怖症

レトロなコンビ

なんだかPCの動作が鈍くて、窓をたくさん開けているわけでもないのにクリックしてもページがすんなりと表示されない状態が続いている。しばらく使い続けていると固まってしまう。使用メモリもフルに近いので、ごちょごちょ触っている次男に「要らないのとか重たいのは整理しといてよ」と言ってあった。が、しかしねーーー!この仕打ちはどうよーーっ!
今朝私が使おうとすると、無い!無いぞ、何処にいったんだ「ホームページ屋本舗。」のプログラムは!! (ついでにDirectCDも無いぞ!)以前やっていたHPもココのTOPもそのソフトの中にみなナカミが納まっていたのだ。掲示板の表示画像を変えたり上のLIVE看板の表示にも重宝して今でもしばしば使っているのに。ざっくりと全部無い!わぉぉぉぉぉぉーーーーんっっ!
今はweb上で書いた物を公開することをかなりの方がやっておられるようだ。親に毒を盛った疑いをかけられている女子高生も、何人も自分の子供を殺していた母親に殺されてしまった若い女性も、手錠を掛けられて高速で走る車から落ちて命を散らした中学生も、日記のようなものを書いていた。周りの人たちは、それぞれの日記の存在を知っていたのかな。mixiも隆盛だし「知ってもらってナンボ」という意識の人が多いのかしら。以前は「サイトバレ」が恐れられていた。私も家族や身近にいる人たちに自分がやっているHPの存在を知られることはなんとしても避けたかった。なので、毎日使っていた「ホームページ屋本舗。」もデスクトップにショートカットは置かず、スタートボタンから辿って使っていた。そうして初回立ち上がるチュートリアルも消さずにそうっとそのままにしておいた。ソフトのCD本体も、CD-Rがいろいろ置いてある場所には一緒にせずに、家族の目に触れないところにしまった。サイトバレ対策万全。万全すぎて、あぁこの有様。「使ってないソフト」のような顔してるけど、メッチャ使っていたソフトなのにぃーー。
しかし、「あのね、君が新たにダウンロードしたものを片付けなさいって言ったんであって、なんでおかあさんが愛用してるHP制作ソフトを断りも無く削除するわけ??」と怒ったら、それはすなわち自ら「サイトバレ」しているようなモンである。ううぬ、困った。で、またソフトを入れ直したらいいのだろうけれど、家族の目に触れないようにドコにソフトのCDを隠しこんだのか、6年も経ってるので忘れてしまったよ……



以前書いたlalulaさんの山崎まさよし「ADDRESS」評について私が思ったこと「モヤモヤで思考停止」についてのレスポンスをlalulaさんから頂いた。「と書いて追伸」 コメント欄に続いて書かせていただこうかとも思ったのだが、長くなりそうなのでトラックバック。あぁそうそう、はてなダイアリー同士だったら文中にリンクを張るだけでトラックバックできますよー。あるいはid表記だけでもOKです。
ううーん、なにか噛みあってないなぁ。まず前提として言っておきたいのは、どういうアプローチでそのアルバムを取り上げるかを問題にしているのではないということ。音楽的な構造に注目する論評もあるだろうし、lalulaさんのように背景事情に注目して歌詞重視で考えていくのも当然あるだろうしそういうものがお好みの方も多いだろう。好き好きで言えば、私は音楽的な構造重視のほうが読んでいて楽しいかな?作者個人と作品をあまりにも密接になぞらえるのは「ホンマかいな」と思ってしまうほうなので。ブライアン・ウイルソンが暴力をふるわれて悲惨な状況にあるときに、ピアノに向かってこれ以上無い美しい世界を紡ぎ出していた話などを聞かせてもらうと、特にね。で、音楽は最終的に聴いた人の中にどう着地するかが大切で、もちろんlalulaさんのように山崎まさよし個人の物語がぎっちり詰まっている曲としてそのままを受け取るのが一番いい、と思われる方もいれば、私のように自分の中でリンクする部分を重視するタイプもあっていいと思う。どちらもアリだと思うので、「すごく深い意味があるものなんですよ、歌詞は。」というふうに言われると、むはは、ちょいとカチーンとキてしまう訳ですね。「書いた人間は、適当にムードで書くんじゃなくて、すごく整合性とかぴったり取れるように、懸命に書くものだったりする」としても、できた全ての歌詞を作者の意図通りにこちらが受けとらねばならないということはないはず。あ、そうそう、私がスガシカオさんの初期の作品の歌詞に圧倒されたのは、創作当時の本人の背景がどうとかそういう検証一切ナシで、その作品だけで、作者の意図が聴き手のリンクする部分をピンポイントで突いて来るそのブレの無さだったなぁ。

で、ナニを伝えたかったかというと、
wakamura_youさんがブログの文章は断定的に書くべきだ のこのあたりで上手に書かれておられるので引用させて頂くと

また、ただ単に思い付いたことを断定するために、単なる感想を補完する客観的事実や多くの人を納得させる論理を用意しなければなりません。そうすることによって、ただの感想が意見となり論へとなっていき、自分の書いた文章に対して責任をもつという意識も芽生えるのです。
ブログの文章は断定的に書くべきだより

結論ばかりこうだこうだと断定的に書かれても、読むほうはどう判断していいかわからない。それがどういう根拠の元で導き出されたか明らかにして欲しいと願うのは、読者の当然の欲求。そこを大事にするかしないかで、他者に開かれた文章であるか自己満足でしかないのかが分かれてくると思うのね。で、今回の場合の「敢えて書かなかった根拠」は

やっと以前付き合っていた彼女の死を乗り越えた、が正解です。こんだけです。これ、10年彼を苛んできたんです。俺が残してきたばっかりに死なせてしまった、たぶんこんな感じ。
と書いて追伸」より

とのことで、これまた読者はそれがホンマのことかホンマでないのか判断できないので、まだハシゴは外れたままの状態なのだけれども。後「Mステで涙流した事件」っての、私は思い当たらないけど、そんなことありましたっけ。

ホントにね、「作者の背景や心理状態を推し量って曲やアルバムを論じる」というアプローチは、ムツカシイと思う。だって論を組み立てやすい物的証拠がほとんどないと思われるもの。インタビュー記事くらい?山崎氏の心のうちは他人にはわからない。ご本人ですら分からない部分もあるのではないかな。そうしてもともとあったキッカケとしての感情や体験は「作品」として形を整えていく上でどんどん違ったものに当然なると思うし。そこで読者を納得させる文章を書くのは至難の業。ムツカシイ道を敢えて選択するlalulaさんのガッツを称えたいと思う。(けど読者を置いてきぼりにしないでね)