Me & My Degu

デグーとの暮らし、日々のあれこれ

音楽をやり続けるということ

あご撫ぜて頂戴ポーズ

オフィス・オーガスタ山崎まさよしスガシカオスキマスイッチなどが所属する事務所だ。そこの森川社長の日記が公開されている。
プレジデントジャイアンダイアリー」8月31日の日記を読み考えたこと。

ずっと昔、まだ僕がレコード会社のディレクターだった時、ある新人アーティストに言ったことがある。もしアーティストである事を意識するなら今後二度と社会復帰しようなどとは思うなって。ちょっと傲慢で嫌な言い回しだけどそれくらいの覚悟を持って望んでくれってことを言いたかったのだ。
でも、これは本音である。アーティストは一生ものを作り続けて行かなければならない、その孤独の戦いと葛藤を覚悟をして欲しい。これはアーティストに限った事じゃないかもしれないけど、ものを作る職人ってのは中途半端な諦めや妥協をして欲しくないのだ。それくらい必死で作品を発表し続けて欲しいのだ。「昔CDデビューをしてそこそこ売れたけどやはり生活が大変で作品もマンネリ化してしまい現在は裏方にまわってしまいました」こういう事はあまり言って欲しくないし聞きたくない。
もちろん新たな職場を見つけて成功している人も新たな才能を開花した人もいるからそれを全面的に否定するわけではない。しかし僕が言うアーティストはやはり孤高のもであって欲しいし常に次の作品について考えていて欲しい。そのための産みの苦しみを放棄しないで継続して欲しい。
(中略)
僕はアーティストとの出会いに期待する。だからアーティストがダメなら別のこの道があるとか保証を求めて欲しくない。つまりアーティストであるなら、もう二度と社会に戻って普通の仕事には就けないと覚悟して欲しい。
「残暑お見舞い申し上げます」より

オフィス・オーガスタに所属しているミュージシャンは大体がメジャーレーベルと契約している。そうしたところの社長が「もう二度と社会に戻って普通の仕事には就けないと覚悟しろ」ということは、方向を変えて見ると、大人数のスタッフの生活を賄えるくらいの稼ぎを上げ続けろ、ということではないのか。コンスタントに売上を上げ続ける為には、望むペースと望む内容でのみ音楽活動を続けることを諦めないといけない(つまり中途半端な妥協をせざるを得ない)場面も当然でてくるのではないのか。また、その「アーティスト」に商品価値が無くなったとしても「もう二度と社会に戻って普通の仕事には就けないと覚悟」させたからにはこの先ずっと事務所で養ってくれる、という保障があるのだろうか。随分乱暴な事を言うものだと驚いた。

人間霞を食べて生きていくわけにはいかない。なんらかの仕事に就き、生活を成り立たせながら、自分のやりたい音楽を追求していくという道は当然「アリ」だと思うのだ。ジャマーバンドにしろWELCOMEにしろ、「堅い」仕事に就きながら音楽を続けている人たちのバンドだ。孤高であり続ける為に自分の食い扶持は自分でなんとかすると決心した人たちのバンドだ。そうしてもちろん、常に「次の作品」について考えているバンドなのだ。孤高であり続ける事が出来るがゆえに注目されて、WELCOMEの井上マモルさんは、アメリカサイドから招聘されてLIVEツアーを敢行する事ができたのではないか。(お仕事のお盆休みを利用してのツアーだったけれど)
収入の100%が音楽活動からのものである、ということが「素晴らしいアーティスト」である必要条件だとは到底思えない。自分の将来、20年後30年後に思いを馳せることが「アーティスト失格」であるとも思えない。どういった生活設計・人生設計をしているかによって判断されるのではなくて、生み出された音楽によって、そのミュージシャンは評価されるべきではないのか。

「いわゆるプロのミュージシャン、ずっと音楽関連で食ってきた人らとこの頃一緒にLIVEすること多いやん?なんかジャマーって一緒にいてほっとするんやて。」なんとなくわかるような気がする。ジャマーバンドは「次善の策」でしぶしぶ社会人バンドの道を選んだわけではないからじゃないかな?なんらかの人生の選択をする場面で、現在と未来の状況や条件を鑑みて、一番良いと判断した道を選択し続けてきた結果が、今の「生活を充実させながら音楽も本気で追及する」、というバンドのあり方に繋がっているから、音楽一本での生活を選択した人たちも対等に向き合っていける。だからこそ、相手のプロのミュージシャン達も「夢破れた人たちにどう接していけばよいか迷う」といった気遣いナシにぶつかっていける。また、プロはプロなりに大変なこともあるし、また、仕事しながら音楽するのも大変なことはある、それを踏まえて、相手の抱える悩みに対しても「それってこうなんちゃうの?」と冷静で客観的な意見を言い合うこともできるというものだろう。
WELCOMEギターGuppyさんの日記「Guppyの心のツボ」より、6月の拾得LIVEの感想。

昨夜はこちら側にゲストもある関係上、ジャマーバンドさんが先に演奏されました。演奏は言うまでも無く素晴らしいものだったし、あの非常に堅い感じの京都の客席が驚くことにずいぶんと柔らかく和んでいたように思える。
しかし毎回違う驚きがあるのですが、そういう難しい話はともかく、昨日もメンバーのGとKの両K氏にお話していたのだが、いつも私はここの演奏を聴くとなぜか気持ちがいっぱいになる。説明できない何かが、音と歌詞に一体となってくるからだろうな、という自身の見解だった。
確かに一番感受性の強い時期に聴いていたものの要素がギッシリだとも思う。だがこれが別の人らの演奏によるものだったらどうだろう?おそらくまったく違う印象になるんだと思う。バンドとしてのメンバーの重要性、技術云々だけであれこれ言っている間はしょせん素人の域を出ないということなんだろう。
出会うべくして出会う、しかも偶然や環境もあいまって出来上がってきたものというのは、本当の心を伝えるんだろうな。
満員御礼m(_ _)m」より

音楽だけしかやってこなかったのなら到底感じられなかっただろう人生の機微が、ジャマーバンドの歌にはあるなと私も思う。
オフィス・オーガスタ社長の森川さん、9月30日にJIROKICHIにいらっしゃい。で、ジャマーバンドとWELCOMEのLIVEを見てごらんなさい。CDの売上やLIVE動員の胸算用ができない音楽ではあるでしょう(そもそもWELCOMEはCDが無いし)。でも確かにそこには胸を打つ音楽があるし、音楽によって高揚する魂の存在を感じる事ができるはずです。


次男15歳はリアルでも「ちょ!おま!イミフ!」とか言ったりしている困った人なのだが、当然「2chまとめサイト」の類が大好き。同じPCを使っているので(というか、私のPCなんだから、気軽にいろんなソフトをダウンロードせんといてちょうだいよっ!)、はてブニュースを見ると踏んだ後の色変わりでなにを見てたかワカル時がある。昨夜彼が見てたのはコレ。「ひげ抜くのが面白すぎるわけだが」 ううーむ、なにせこのデスクトップPCは私の物であるので、周辺には香水やらマニキュアやらお化粧品の類がたくさん置いてあるのだが、どうも眉用の毛抜きがぽろんと「使いサシです」って風情でよくディスプレイの前に転がっているのよね。次男はかなり共感しながら読んだのではないか。えへへ、私もかつて脇を抜いてた時に、標的を確認するのに使っていた鏡の表面を、戦果で植毛したものですが!