もうすぐ山崎まさよし氏のアリーナツアーがはじまる。まだFCで申し込んだチケットはやってこないが、良席だといいなぁ。見えるかしら。私にとって「見えるか見えないか」はLIVEが楽しめるかどうかの大きな分岐点になる。「小さいハコで山崎まさよしのLIVEが見たいなぁ」と願うのはファン共通のことだろうが、小さくても人人人で見えないならば(背が低いのね)、そこそこ大きい所でシッカリ見える環境の会場がいいなぁ。ま、小さくてよく見えるってのがベストでしょうけれどもね。
で、LIVEの内容だが、ワタシとしては、そりゃマルコス・スザーノと共演してほしいな。親日家のスザーノのこと、「正式に」「いろんな手順を踏んで」共演の要請をしたら、オトナの事情があったとしてもOKしてくれるんではないかいな?そりゃ、「いろんなことをウヤムヤにしてでも今日明日スグに」ということは無茶としても、山崎さんが「キチンとした形でスザーノと一緒になにかしたい」と願うならば、きっと近い将来実現するでしょう。ま、そうまでしてでもやりたい!と山崎さん&ブレーンが思わないのなら仕方ないけど。で、もしスザーノとの共演が実現したとしたら、きっとたくさんの山崎ファンが「そのLIVEに行きたい!」と切望するだろう。そうしたら、その数に見合ったキャパのところで開催したらいいんじゃないかな?行きたい!と願う人が気づかないうちに内々でこそっとしてしまうっていう選民主義だけはヤメてね。
三年前に書いた文章。アレからなにも前に進んでいないのな。
そら、山崎さんの表情も輝くでしょう、こんなに「ミュージシャンの細胞」を活性化しはったら。でね、ホンマに思うのはこうした圧倒的なLIVEがなぜ広く世に問われないのかっていうことなんですね。「狭いLIVEハウス」だからこそできた「音楽的奇跡」ってモンではないと思うんですよ。どんな場所でも、や、そら音響が悪すぎる所ではアカンとは思いますが、タイガイの場所ならその至福の時間を客とともに共有できる実力の持ち主達です。やられる側に、こういう音楽は「わかった人達」だけしかわからないだろうという認識があるとしたら、それはマチガイや!と思います。「衆愚」という思想をポピュラー音楽のフィールドに持ち込んでは全体が衰退していくだけ。客というものはそれまで体験してこなかったような「素晴らしさのレベル」には敏感に反応します。素晴らしい音楽が響く場所、そこにはかならずや、音楽を楽しむ客・ミュージシャン同士・そしてビジネス的にもそれぞれが満足行く接点があるはずです!