Me & My Degu

デグーとの暮らし、日々のあれこれ

Hey!シスター!

元気なデグー!と呼んでくれ〜♪

トングタイプのサンダルが好きというのは以前書いた。そうそう、このサンダル、デザインは好きで好きで、もう同じの5つくらい色違いで買ってもイイ!と思うくらいなのだが、いかんせん足にあわない。流行のシリコン製の滑り止めインソールをいろいろ試したのだが、コロンブス製のも荒川産業のもドクターショールのも上手くいかなかった。各種インソール代を足したら新しいサンダルが買えるんちゃうかというほど投資したのだが。インソールが思うところでとまっていてくれないのだ。歩いているうちににるにると移動してしまう。前にくちゅくちゅと溜まっていくものもあれば、ナナメ後ろににゅぅぅと突き出ていくものやら。コレは見た目ヘンだ。サンダルの後ろにイカの軟骨のでっかい版みたいなのが突き出ている女。猟奇。今はようやくとまってくれている、なんだこれは、ガニ股矯正インソールらしいがものすごくカカト部分が分厚くナナメに上げ底になっているインソールを引っ付けて、まぁまぁ歩けるようになった。
で、今日はもっとカカトの低いトングサンダルを買った。ビーズの地に貝殻を花の模様に縫い付けてある。甲部分がピタと足にそってなかなかホールドもよろしい。なにより50%引きだしな。お店はコンチョやらターコイズやらのアクセントが目をひくかなり若い人向け。ローライズのジーンズをはいた若い店員さんが相手をしてくれたのだが、ちょっと驚いてしまった。かなりタイトに甲部分が足に接するので、ここは伸びるかしら?と聞いたところ、「大丈夫です、伸びますよ、何度か履いてもらったら、ねえさんの足にすぐにそうようになります。」
「ねえさん」なのか、私は。漢字で書いたら「姐さん」かな?店員さんに「ねえさん」と呼ばれて心地よい人はいるのかな。それとも若い人向けのお店では年配客を「ねえさん」と呼ぶのはその世界のジョーシキなのかしら。どのヘンまでが普通のお客さんでどのヘンからが「ねえさん」なのか、明確な線引きはあるのかしら。ううーむ、ねえさん、ねぇ。ま、おばちゃんと呼ばれるよりはマシかもなぁ。
山崎まさよし氏の新曲を聴いた。「8月のクリスマス」という映画主題歌。映画の内容に沿った歌詞なんだろう、なにやら思わせぶりな単語が並ぶ。映画を観た後なら印象変わるかもしれないが、今は不完全燃焼。自分が忍耐強くなくなったせいか、歌の内容はシンプルであまりくどくど言わないようなものでないと受け付けなくなってきている。たぶん「SHEEP」の後のアルバム達を聴く回数ががくんと減ったのも、そのあたりのことも要素としてあるんだろうなぁ。
こちらを読んで、そうだよなぁと思う。シンプルでユーモアがあってっていうのは有山じゅんじさんの世界にも通じるな。がつんとくるシンプルさって山崎氏の初期には確かにあった。こんなトコにはいないってわかってても探してしまうんだよーっていう歌であったり、抱き合ってる最中でもなんでこんなに距離を感じるんだぁっていう歌であったり、遊ばせてください、ヨロシクお願いしまーす!っていう歌であったり、遠くの街に僕の歌・僕の願いが届きますようにっていう歌であったり、ま、言い出したらいろいろあるけど、結局は君が好きなんだっていう歌であったり、つまんない毎日だ、あの娘と一緒に絵葉書のパリのなかに飛び込みたいもんだっていう歌だったり、気づかないうちに隣近所が変わってる、同じように僕の心もルーティーンな毎日のなかでなにか変わってて、ただそれに気づいてないだけかな?って歌だったり。
人の心に届くシンプルな感情というのは、シンプルであるがゆえにいろんな事象に隠れて見えにくいものだ。それをうまくシンプルなままつかみとって、そのシンプルさにマッチする方法で料理して、熱々を出す、というのはやはりセンスのモンダイであり、若いときの作品はあまり手を加えず素材で勝負、という潔さが美味しさを増すのだろう。経験を積めば積むほどだんだんと洗練されていき、シンプルなものをシンプルなままで出す作品は減っていく。耳の肥えた人ならば、そういう進化の仕方は「美味しい」ものなのだろうが、だんだんと胃が弱くなってきた身には、消化しきれなくなってくる。で、行き着く先は♪君といるとドキドキ、そんなありやまな夜だ!woo!♪だったりするのね。山崎氏もシンプルな世界に戻ってきてくれるだろうかな。OKST05ではシンプルな曲がほとんどなセットリストだったし、可能性はあるかな?