Me & My Degu

デグーとの暮らし、日々のあれこれ

登下校

授業が終わってから校庭でしばらく遊んで、いつも通る正門ではなく裏門から小学校をでて家に帰る。いまでこそたくさんマンションが建っているが、当時はまだ小学校の回りは田んぼが広がっていた。校庭をめぐる塀ぞいの狭い道を一人で歩いていき角をまがるとそこには、牛がいた。道幅一杯に広がる牛の体。頭部も大きいが、肋骨が丸く大きく張り出している。牛は農作業の帰りで後ろに荷車を牽いていた。農家のおじさんが先頭に立ち鼻輪に括った太い紐をひっぱってゆっくり先導していく。私は溝の向こう側に立ち体をぺったんこにして避難する。巨大な生き物がゆっくりゆっくり進んでいく。ぎしぎし音を立てる荷車。すれ違いざま、牛は私の姿をちらと見る。光る白目。
ごくたまに、車に轢かれた猫が道路にそのままうち捨てられていることもあった。朝、車道になにやらこんもりしたものが落ちている。やだな、あれはきっと車に轢かれた猫、と思いながら近づいていくと、やはりそれは死んだ猫で血が流れていたりする。気持ちの悪いことこの上ないのであまり注視せずに足早に駆け抜ける。下校の時、死んだ猫は時にはすっかり始末され命が散ったことなどなかったかのようになっていることもあったが、急場しのぎに道の真ん中から横の刈り取りの終わった田んぼに放り投げこまれて放置されていることもあった。あ、朝の猫だ、ほら、あそこ、田んぼの中!次の日の朝。その死んだ猫がいる場所の近くまでくると心臓がどきどきしてくる。まだあそこにあるかな、どうかな。あ、まだあった!霜がうっすらとおりて毛皮が白くなっている。へんな形に捻じ曲がって固まった猫の体。登校してからの話題も「あの死んだ猫」のこと。「見た?」「見た!」その日も、次の日も、その次の日も、猫はそこにいた。小学生達は毎日少しずつ形が崩れていく猫だったモノを、ちらっと見たり凝視したり、あるいはぎゅっと目をつぶってその場を走り抜けたりして登下校した。死というものを目にした数日間。何年かに一度は、道端に死が落ちていた。夏の死はぐじゅぐじゅになり、冬の死はかりかりと干からびていった。
そういえば、子供がまだ小さい頃、連れて行った近所の公園の茂みの中で、猫が横向けに寝た形で死んでいた。それを見て、子供の頃の登下校時のあの猫を思い出したのだった。ほら帰ろう、きっと公園をお掃除する人が見つけてキレイにしてくれる。次にその公園に行った時にはもう茂みの中には猫の死骸はなかった。ほっと安心して自転車で走り回って遊ぶ子供を見ていたら、後ろの砂場で遊ぶ小さい子供らがはしゃぐ声が聞こえてきたのだった。「お母さん、猫ちゃんがお砂の中に埋まってるよー」