Me & My Degu

デグーとの暮らし、日々のあれこれ

それぞれ別のもの

アマリリス咲きました。ドドンパ!

引き続き、サウス・トゥ・サウス関連の二枚「ぼちぼちいこか」と「この熱い魂を伝えたいんや」を聴いている。いや〜、かっこいいわ。スガシカオ氏は「LIVEはSEX!」とおっしゃっているようだが、それを実感する。「イこか!イってええか!」とさけぶMC氏(これが北京一氏かな)、「どぉや、みんな?どぉや、どや?よっしゃぁ!」と叫ぶ上田氏。ギターのフレーズ一つ、ボーカルの歌いまわし一つに敏感にそれぞれのやり方で反応していく観客達。この「それぞれのやり方で」ってのがその場を物凄くSEXYなものにしているのだろう。LIVEで観客が同じオキマリをするのってどうなんだろうと思うほうなので、や、一曲や二曲そういう「御楽しみ曲」があってもいいとは思うが全編それではね、こういうLIVEにあこがれてしまう。やはり、「オキマリをする」というのはある種の「確認作業」であると思うわけですよ。で、確認作業というのはあまり「その場でしかおこらないこと」というのは重要視されないわけで。ルーティンだけのSEXがキモチいいか?っていう。や、そりゃまそれなりにキモチいいだろうけど、とびきりキモチいいかっていうとどうなのか。
で、やはり「大阪弁」ってのは飛び道具だな。たぶん歌詞やMCが標準語だとこれほどの熱気は生まれなかったんじゃないか。関西弁にもいろいろあって、山崎氏の営業用関西弁は京都弁に近いので、かなりまったり上品、「人の良さ」をアピールするのにもってこい。このサウスの大阪弁は河内弁なのかな?「わい」や「行こけ」なんてのは、下品ではあるが「僕」「行こう」にはない生命力やら人懐こさを言葉の意味とは別にあらかじめ持っている。斉藤和義氏は結局は関東の大学に入学したのだが、もともと大阪の大学に行きたかったとBREaTHの2号で話している。「関西弁が好きだったのと、音楽が盛り上がっていそうな気がしたのと。」で、斉藤氏はおねえちゃんが好きだったレイジーのLIVEテープを聴いてそう思ったとおっしゃるのだが、「ライヴが終わったあとに『おおきに!』とか言ってるじゃないですか。ああいうノリが好きで。」わかるなぁ。このサウスのLIVEでも最後上田氏が「おおきに!」と叫ぶが、んもう、きゃぁぁっ!って身悶えしてしまうようなかっこよさ。「ありがとう〜!」では、なかなかこの域には達せんよ。熱狂的な有山じゅんじファンのライター北村和哉氏がデビュー当時Keisonを熱心に推していたのもわかる。この当時の上田氏の歌声に似ているもんなぁ。
NHK高石ともや氏と高田渡氏のドキュメンタリーを見る。高田渡氏、どんどんお猿っぽい風貌になられますね〜。沖縄ツアーの模様だったが(ツアー?)、もう、飲む飲む。LIVE前から飲む。ステージでも泡盛割ったの飲む。ダイジョーブか?と思っていたら案の定ステージで寝てしまう高田氏。喜ぶ観客。うう〜ん、どうなんかなぁ。「酒によって寝てしまう」ってのがオキマリの一種になってて、それの確認作業をするって感じかな。起きてても、お話はどう聞いても「ヨッパライ」だしなぁ。語るように歌う高田氏。何しても許される高田氏。
夜フジテレビ「僕らの音楽山崎まさよし氏出演。やっぱり「セロリ」なのね。「代表曲」ということでハズせないのね。演技をするという事に対する正面切ってのインタビューはこれまで無かったので興味深かった。多分相手が音楽ライターであったなら、そういう質問ははぐらかしてオシマイだっただろう。やってて面白い、達成感がある、とのこと。役者をやるのはいいと思うな。「請われてやる」のならなおいい。他者の価値観なり判断の中に自分を置く機会があるのは、ソロでなにかを作り上げている人にとっては得がたい経験だとおもう。で、映画は「作品」という形になって残る。ファンにとっては成果を目で見ることが出来るのでとってもありがたい。新曲はオーケストラ&バンドでボーカリスト山崎。シンコペーション感のない楽曲にオーケストラのアレンジがハマって美しい。はねない歌いまわしは一寸苦手か。美しいメロディ。たとえば高田氏の朴訥な歌声でもって表現される歌にしみじみするってのも歌の楽しみ方だろうし、こういうキレイな歌を聴いて「ひゃ〜、きれいだなぁ」と思うのも楽しみ方だし、モチロンLIVEで弾き語りされるfatmama聴いてワクワクするのも楽しいし。「音楽」ってホンマ、個々ぜんぜん「別」のモンだなぁ。「風の伝言」hitomi嬢メインボーカル。これにはちょっと閉口する。もうすこし歌える人とセッションしてほしいですな。