Me & My Degu

デグーとの暮らし、日々のあれこれ

鑑賞の質

本を踏んではいけません

教えていただいてドラマー沼澤尚さんのメッセージを読む。
http://eltaso.org/taka/from.html
「ライブ鑑賞そのものの質の向上」…なかなかむつかしいテーマ。どこに行っても常に同じ顔ぶれが最前列に陣取りステージを熱烈に受け入れる状態は、ミュージシャン側にとっては好ましい状況ではない、ということ。おっしゃりたいことはよくわかる。沼澤氏にはたくさん熱狂的なファンがいることは有名だ。もちろん沼澤さん個人目当てではなくて沼澤ドラムに魅せられた人たちだろう。だからこそ沼澤さんも、「音楽」を愛するなら、よりよい演奏を望むなら、「いつも最前」にがっつくな、とあえて言いにくいことを明らかにしたのだろう。あぁ、ムツカシイなぁ。ファンとしてできるかぎり「イイポジション」で見たい!という気持ちもわかるし。「見えない」というのはものすごいストレスですよ。
「ライヴの私物化」についてちょっと考えたことがある。山崎まさよしLIVEに関して言えば、そうだな、97〜98年ごろはこの「LIVEの私物化」がひどかったように思う。まさやん私を見て!まさやん私の言う事をきいて!MCの間中飛び交う叫び声と嬌声。イントロが始まっても容赦なく声かけして自分のリクエストを通そうとする者。その場を皆で共有するという意識が全く欠如している。沼澤さんがおっしゃる「ライブ鑑賞そのものの質」は無いに等しいものだったのではないか。そのレベルと比較すると、もっと高いライブ鑑賞そのものの質を求めての沼澤発言なわけで、まぁその、言っちゃァ贅沢とも取れる。繰り出される音楽に新鮮に反応してくれる客を前に演奏したい、という欲求。
こういうのはいわゆる音楽に誠実であろうとする「人気ミュージシャン」の抱える悩みだろうけれども、同じようなことを地味に活動するベテランミュージシャンのLIVEでも感じてしまう。たまのLIVEにはおなじみさんの顔がずらり。客席でやぁやぁと挨拶が交わされたりして、和やかといえば和やかだが、でも、LIVEの度にお客さんの顔ぶれが同じというのも、やってるほうはどうなんだろうなぁ。有山じゅんじさんが毎月一回下北沢440でゲストを呼んでLIVEをする試み、とても素晴らしいと思う。リクオさんにしろ、トモフスキーさんにしろ、それぞれのファンが「知らないミュージシャン」に触れて新たな発見をするLIVE。ベテランミュージシャン達のコミューンのような馴れ合い感を有山さんには打破していって欲しいと思う。