CCCD関連の話題が再びnetで盛り上がっている。いまのところ山崎・スガに関しては、ありがたいことにCCCDではない。スガ氏ははっきりとCCCDにはしたくないと自らの番組で発言している。山崎氏は特には意志を表明していないが、アノ人はいつも、どんなことでも、はっきりと自分の意向というものを明確には打ち出さないので仕方ないか。しかし、FM局の企画で「著作権フリー楽曲」を発表してるということが、彼なりの意思表示とも取れる。
Keisonは移籍後のシングル2枚ともCCCD。無名のシンガーの一曲入りシングルをなぜにわざわざ工程を増やしてCCCDにする必要があるのか。買った。腹立たしいが、ええ、買いましたとも。いまやたぶんやっていけるかいけないか瀬戸際のKeisonに音楽活動を続けてもらいたいから。不完全な技術を使ったCCCDでリリースされた音源が将来まともなメディアに移行した時にそれでもって再発される可能性が限りなく低いから。MDに落すためだけに一回だけコンポで鳴らされるCCCD。
聴けない再生機器があるかもしれんよ、とシレッと言い切ってしまうなんて、商道徳的にどうなのか。ごく普通の感覚で考えると、ユーザーに不自由を強いるわけだから価格を低く設定するのがスジなのではないか。CDが3000円ならば同じ内容のCCCDは2000円、とかね。そうしてどちらが売れるか数字で出してみたらいい。
音楽を聴くのは気分転換であり、カラオケのためでもあり、という男性が、こちらがそういう話題をふったわけでもないのに「今CCCDが多くなっているだろ、アレが腹立たしいんだよ」と言うので驚いた。PC経由でウォークマンに集め、通勤時間に楽しんでいたのにCCCDはソレができないのが困る、とのこと。いまや「熱心な音楽ファン」以外のライトリスナーも、「これっておかしいんちゃうん?」と感じはじめているのがCCCDなのである。