Me & My Degu

デグーとの暮らし、日々のあれこれ

紅萌ゆる

なのかさんからなにか思い入れのある一曲をというバトンがまわってきたので書いてみる。
今私は、かつてラヂオから深夜流れてくる斉藤哲夫金森幸介の歌声に熱中していた頃の自分の、ちょうど親と同じ年代だ。思い返してみると、ウチの家はそんなに音楽愛好家ではなかったので、音楽がラヂオからいつも流れているということはなかったし、歌番組をTVで見るということもなかった。グループサウンズが一世を風靡していた時も、ブラウン管で彼らを見たことが無かったくらいだ。母はクラッシックが好きだったようだが、積極的にレコードを集めたりすることはなかった。祖母は「思い出のメロディ」を見るのは好きだった。「この人老けたねー、かつらかな?」などといいながら熱心にみていたな。父はというと、「寮歌」なのだった。
旧制高校の寮で愛唱された「寮歌」。父は寮に住んでいたことはなかったはずだが、寮歌がおさめられたレコードを大事にしており、時折出しては眺め、口ずさんで、いや高歌放吟することもあった。「寮歌祭」というものも全国的に開催されていた。「寮歌祭」とはOB達が当時の学生服を着て寮旗を振りつつ寮歌を歌うという同窓会の変形のようなもの。歌を歌って瞬時に「当時」にタイムスリップするムカシの青年達。私にはないな、そんな歌。歌うだけで仲間意識が高まって輝いていたころが蘇る歌。そもそも一つの歌を肩組んで仲間と大声で歌うという経験が無いものな。
寮歌の歌集を手に、いくつも愛唱歌の説明を聞かされた。「琵琶湖周航の歌」であるとか「ヂンヂロゲの歌」であるとか。そして最後はいつも「紅萌ゆる」を歌う父なのだった。歌の説明を聞いて「へぇー」とか「面白いね」とか私が言うと、父はとても嬉しそうだった。兄はなにやかやと口実を作っては逃げ出していた。寮歌を私一人に向かって歌う父は、ムカシの青年なのだった。
まだ「寮歌祭」はいろんな地域で開催されているのだろうか。もう父が死んでしまっているように、ムカシの青年達は地上で寮歌をがなるのには見切りをつけて、あちらで青年になって肩組んで太鼓を叩いて大声で歌っているのかもしれない。